Essay

グリーンランドにて竹修業グリーンランドひとり旅
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 私が物心ついた時には、母はすでに油絵を描いていました。キャンバスだけでは物足りなくて、居間や寝室のふすままで、自然を愛する母の絵が沢山描かれてありました。
その中で育ってきたせいか、18歳の頃から油絵を描き始めました。
 今から8年前、親元を離れ、自分一人の力でどこまで出来るか、一大決心をし、京都にやってきました。
一足のわらじでどこまで出来るか、原点に戻って試してみたかったのです。小松から京都に出てきたといっても、その頃は絵も売れず、かなり悲惨な生活をしていました。
 京都に住んで2年目、丁度その当時は、自分なりの色、題材を求めていた時期で、そこで出会ったのだが、「孟宗竹」だったというわけです。
 これだ!
 いつもは何げなく見ていた竹林なのに、その時の心境と竹の様相が、ぴったり一致したのでしょうか、私の心を捉えて離さなくなったのです。
 孟宗竹は、太くてたくましく、青々としていて、天に向って真っすぐのびています。
だけど、根っこはびっしりはびこり、地中の中で複雑にからみ合い、コンクリートまでも割って出てくる勢い、その雑草のような生命力に深く心をうたれました。
まさに竹は、人間の外見と内面を表わしているような気がしてなりません。
竹に人間をスライドさせて、どこまで表現できるか、私の一生をかけて追求していこうと決心しました。
 その日から私の竹狂いが始まったのです。
竹の心、竹の声、匂い、色、バランスを追い求め、描き続け、たえずスキンシップや会話を楽しむようにしました。そのうち、中日女流画家展で4年連続の賞をいただいたり、内外の展覧会で入賞、入選を重ね、毎年定期的に個展を開いたりしているうちに、少しずつ竹の絵の注文もふえてくるようになりました。私の場合、絵を売って生活をしているわけですから、皆様に喜ばれる竹の絵を描こうと注文が入る度、一所懸命描いていました。

 
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